右足ペダルを自由に踏むことができない–ピアノが大好きな少女が抱える問題を「デザイン思考」で解決する

右足が使えなくても、自由自在にピアノを弾きたい。右足に不自由を抱える少女の願いをデザイン思考で叶える東工大の研究チームの取り組みを紹介。

「今まで病院やリハビリ施設で日常生活を送るためのサポートを受けたことがありましたが、余暇や趣味を充実させるためのサポートに出会ったことがなく、こんな優しい世界があることを知り、驚きました。」

様々な不自由さに直面した時、生活を取り戻そうとすれば、多くの人が手伝ってくれる。しかし、余暇や趣味について助けようと手を差し伸べる人はグッと少なくなる。人生の楽しみは、多くの場合、生活以外の時間にあるというのに――。

私たちの余暇を楽しませてくれる道具はたくさんあるが、それらは多くの場合、不自由を抱える人たちにとっては手軽に扱えるものではない。従来のデザインプロセスから除外されてきた人々を対象としてデザインを行うのが、インクルーシブデザインという考え方だ。

2017年夏に立ち上がった「Project for Karin-chan(P4K)」

インクルーシブデザインの重要性を実感できるプロジェクトが、2017年夏、東京工業大学環境・社会理工学院のとある研究室で立ち上がった。

その主役となるのが、ピアノを弾くのが大好きな少女“かりんちゃん”。かりんちゃんは、右足首の筋肉が弱く、ペダルを踏む操作に不自由さを抱えていたという。そんな彼女のために左足で右ペダル演奏を可能にする装置を開発するために始まったのが、「Project for Karin-chan(P4K)」だ。

右足側のペダルはダンパーペダルと呼ばれ、ピアノ演奏において最もよく使用されるペダルだ。今回製作された装置は、右側のダンパーペダルに接続することで、左足でダンパーペダルを操作可能にするというもの。

実際にかりんちゃんが使用した装置

かりんちゃんの成長に合わせ、ペダルの高さを調整できる。演奏会場のピアノにも設置できるよう、ペダルを傷つけることなく装着でき、演奏中の機械によるペダルへの負荷を軽減するという工夫が凝らされている。

熟練すればするほど繊細なペダルテクニックが要求される

かりんちゃんが通うピアノ教室「リトルマエストロ」で講師を行う齊藤とし子さん(以下、とし子さん)は、熱心に練習を重ねるかりんちゃんの姿を見て、彼女が今後立ち向かわなければならない困難に心を痛めていた。

とし子さん「ピアノの演奏において、熟練すればする程、繊細なペダルテクニックが要求されます。残念ながら、彼女の右足はそれを実現できそうにありません。このままでは大好きなピアノを諦めるという切ない現実があるのです。」

とし子さんは、夫であり東京工業大学(以下東工大)環境・社会理工学院でエンジニアリングデザインの研究を行う齊藤滋規教授(以下、齊藤教授)に解決できる術はないか相談したそうだ。

すると、齊藤教授からこんな言葉が返ってきたという。

「東工大でプロジェクトとして(解決)できるんじゃない?」

この夫婦の会話がきっかけとなり、次の発表会までにかりんちゃんが不自由なくピアノを弾けるようにするプロジェクト、P4K が始まった。

切実なものでリアルだからこそ、裏切れない

プロジェクトの提案に対し、かりんちゃん自身とその両親からも喜びの声があがった、プロジェクトメンバーとして集ったのは、東工大の7名の学生。

プロジェクトを始めるにあたり、チームメンバーが自発的に「ベストを尽くそう」と思えるように、齊藤教授は、チームメンバー、かりんちゃん、かりんちゃんの両親、全員でキックオフミーティングという名の食事会を開いた。

齊藤教授「かりんちゃんが抱える課題は、切実なもので現実(リアル)そのものです。それは、チームメンバーにとってやりがいとなる一方で、プロジェクトが中途半端なものになると、ユーザーであるかりんちゃんの期待を裏切り、かえって落胆させてしまう可能性もあることを意味していました。」

このミーティングで、チームメンバーは、現状や装置開発に必要な条件などを把握することができた。

ミーティング後、齊藤教授はチームメンバーの中に「かりんちゃんにプロダクトを届ける」という意識が芽生えたことを感じ取ったという。ピアノが大好きなかりんちゃんの姿や気持ち、実際に抱える悩みを本人や両親の口から聞いたことが、学生たちの意識を変えていった。

齊藤教授「P4Kにおいて、かりんちゃんのピアノへの情熱とチームメンバーの意気込みの歯車が見事に合い始めたんです。」

P4Kに用いられたデザイン思考

東工大エンジニアリングデザインコースでは、「技術」や「デザイン」を通じて人々が抱える様々な課題を解決し、エンジニアリングデザインの基幹である社会で求められる新たな技術・価値・概念の創出に貢献できる人材の育成を行なっている。

その中でも、齊藤教授の研究室では研究テーマの一つとして、課題解決における創造性を取り扱っている。エンジニアリングデザイン分野のプロジェクトにおける創造性について科学的な研究を行うことで、培った知見を現実のプロジェクトに反映し、次世代のイノベーションを創出していくという。

今回のプロジェクトは、エンジニアリングデザインコースの学生を中心とした有志のプロジェクトとして行なわれた。

エンジニアリングデザインコースでは大学院生の主要授業として、プロジェクトベースでエンジニアリングデザインを学ぶ「東京工業大学エンジニアリングデザインプロジェクト」を開講しており、P4Kの参加メンバーの多くは、授業を通してデザイン思考という方法を学んでいた。

そのため、P4Kではデザイン思考の考え方の一つである、「すばやく失敗しろ」を実践したという。具体的には、かりんちゃんやとし子さんとの対話から、簡単な試作品を作り、ユーザーテストを繰り返すことで、改良点を見出し実際の利用に則した装置を開発していったそうだ。

試作品のイメージ図
試作品
ユーザーテストの様子

デザイン思考を実践する中、齊藤教授はプロトタイプの製作過程で、メンバーのモチベーションが徐々に上がっていくのを感じたという。

また、プロジェクトの発端となり、かりんちゃんを間近で見てきたとし子さんの心情にも変化が現れた。

とし子さん「実際にモノができる過程を身近で見ることで、かりんちゃんの課題に対する(とし子さんの)悩みや迷いも徐々に解消され、期待と希望が見えてきました。」

そして、約半年かけ、2つのプロトタイプの作成と複数回のユーザーテストを経て、装置は完成した。

もっとピアノが好きになった

目標だったかりんちゃんの発表会当日、これまでにない難曲に挑戦したというかりんちゃんの足元には、装置が置かれていた。

とし子さんや、かりんちゃんの両親が見守る中、かりんちゃんは見事な演奏を披露。演奏会は大成功に終わり、かりんちゃんの両親の目には、涙が浮かんだ。

かりんちゃんの両親「足に不自由があっても、何か好きなもの・自信になるものがあればとピアノを習わせ始めました。娘はどんどんピアノが好きになっていき、ピアニストになりたいと言うこともありました。ただ、ペダルを使う曲が増えていき、無理に足を使い体勢が崩れる姿を見ると限界があると感じました。体の不自由が原因で練習を頑張っても越えられない壁があるのなら、新しい夢を見つけた方が娘も傷つかずにすむのではと悩むこともありました。今回P4Kのペダルのおかげで、ピアノを続けていく道が広がりとてもうれしかったです。」

かりんちゃんの演奏とともに、感動する両親の様子を見たプロジェクトメンバーで東工大修士2年の綿引泉さん(以下、綿引さん)も強い達成感を感じたという。

綿引さん「P4Kがかりんちゃんのためだけでなく、ご家族のためにもなったことを知って、本当に意味のあることができたのだなと感じました。今まで、頭では自分の学んでいることが『誰か』のためになりえるものと捉えていました。ですが、今回のように実感できる機会はなく、かりんちゃんという存在に対して物を作り、彼女の体験を変え、その周囲のご家族にまでポジティブな影響を与えることができたことは自分にとって大きな経験となりました。」

何より、かりんちゃん自身も発表会を経て、「もっとピアノが好きになって、頑張ろうと思った。」という。

プロジェクトメンバーにとって、この言葉は最高の報酬だろう。

次世代を活き活きとデザインするために

プロジェクトがひと段落し、齊藤教授はこう語る。

齊藤教授「通常、エンジニアの卵であるチームメンバーである学生達は、大学という枠組みの中だけでは、“自分のプロダクトを心待ちにしているユーザー”と直に対面してプロダクトを開発する機会になかなか出会えません。その意味では、P4Kは彼らにとって本当に貴重な機会になったと思います。」

今回のように作り手にとっても、ユーザーにとっても意義のある実感を生み出すため、齊藤教授の研究室では、今後も社会に今ある課題に対してアプローチするプロジェクトを続けていくという。

齊藤教授「『技術は人の幸せのためある』ということばを実感できるような機会を与えられる教育に取り組み続けたいと考えています。それこそが、私やP4Kのチームメンバーの多くが所属する東京工業大学エンジニアリングデザインコースのモットーである“次世代を活き活きとデザインする”人材を育成する鍵だと考えているからです。」

機械が発達し、大量に商品が作られる今、作り手にとってユーザー一人ひとりの想いというものが見えづらくなってしまっている。そうしたユーザーの想いと向き合って製品を設計できる機会は、教育機関だからこそ与えられるものかもしれない。

これからかりんちゃんはどんな演奏をするのだろうか?そして、たった一人の小さなユーザーに半年間向き合ったプロジェクトメンバーたちは今後、社会でどんなものを作っていくのだろう? 彼らの未来につい想いを馳せてしまう。

林琴奈

1992年生まれ、京都大学院で地質学を専攻。在学中に結婚・妊娠・出産を経験。趣味は読書、Instagram、ラップバトル鑑賞。関心領域は、自然科学・テクノロジー・教育。