音楽・SF・未来――SF作家・樋口恭介による若林恵著『さよなら未来』との対話

SF作家・樋口恭介による連載書評。第3回となる今回は『WIRED』日本版の前編集長・若林恵『さよなら未来 エディターズクロニクル2010-2017』。樋口氏自身の音楽・実作の文脈をたどりながら、クリエーションと社会像の関係性に迫る。

月に向かって手を伸ばせ。たとえ届かなかったとしても。

──ジョー・ストラマー(ザ・クラッシュ)

1.話されたこと、話されなかったこと

若林恵『さよなら未来 エディターズクロニクル2010-2017』。唐突ながら、この本について、誰が読んでも最善と思われる書評を書くこと──書かれたことに徹底的に寄り添い、厳密に内容を抽出し、その魅力を損なわず、気の利いた言葉とともに紹介すること──は、おそらく不可能である。少なくとも私には。それは私の能力不足にもよるが、一方で、この書物自体がそうした性格を持っているのだとも考える。書評というのは、多かれ少なかれ書物の情報を縮減化する営みで、内容を要約し細部の豊かさを捨象し平板な語りの中に押し込める営みである。「それってどういうこと?」というシンプルな問いに対し、「それってこういうことだよ」とシンプルに答えるもの──書評というのは基本的にそうした性質を持つ営みである。しかし、書物の中にはそうした「それってこういうことだよ」という平板化を、原理的に拒否する構造を持つものがある。そして、本書はそうした構造を持っている。

「アーカイブというものは、説明や分類できないものがあるからこそ存在する。アーカイブ化された情報と情報の隙間に、おそらくなにかが語られている」。長い時間をかけて書かれ、時代の変化と書き手の変化をそのまま反映した本書は、その変化の間隙にこぼれ落ちた〈書かれなかった事物〉の存在さえもを示唆する、無限の拡張の可能性を湛えた構築物で、それは無数の鏡でできた巨大なコラージュのようで、どこをどう読んでみても、読みの数だけのいろんな形の自分の顔が映り込んでくる。私が私である限り、私の読む全ての文は私によって読まれるのだが、本書はつねに、その事実を読み手に対してつきつけてくる。
私は私から逃れられない。
私は、つねに私の読解を通して全ての文章を読むのであり、書かれた文章を、そこに書かれたままに、単に読むことはできない。決して。絶対に。

本書を読むといろんなことを思い出す。書かれたことを読みながら、その実私は私自身の顔を眺め、思い出と思い出が入り混じり、書かれたことをそのまま読むのは難しい。この書評を書き終えてなお、その感覚を拭い去ることはできず、今もまだ、私は本書の中で迷い続け、かつて自分だった自分の顔を眺め続け、私だった彼の担った思い出を思い出し続けている。

2.僕、パンクロックが好きだ

たとえば私は彼は子どものころ、パンクロックが好きだった。パンクロックが好きだ、とブルーハーツは歌ったが、それを聴くたびに、俺のほうが好きだよと、もう存在しないブルーハーツと無駄に張り合い悪態をついていた。
夕食の時間、テレビを点けるとテレビの中で、「そんなの関係ねぇ」と小島よしおが言っていた。「何これ」と母は言った。「変なの」。母はテレビを消した。それから母はパートに行っている工場でのできごとについて話した。工場主の息子が大学に受かり、実家を出て東京に行くのだと言った。「実は僕も、東京の大学に行こうかと思っとるんや」と言うと、母は不思議そうな顔をしていた。それからは何も言わなかった。
夕食を終えると風呂に入った。風呂の中で小島よしおのことを思い出した。風呂から出てベッドの中に潜り込むと、ヘッドホンをして、音量を上げて、パンクロックを聴いた。古いものも新しいものも聴いていた。パンクロックと呼ばれていないものも、かっこよければ勝手にパンクロックと呼んでいた。パンクロックが好きだった。17歳だった。

唐突ながら、小島よしおはパンクである。当時の私はそう信じていたし、今振り返ってもそう思える。パンクをパンクならしめるイデア論的本質というものがあるならば、パンクロックにそれが内在するのと同様に、小島よしおにもまたそうしたイデア論的パンクの本質が内在するのだろう、と。私はそのように考えている。繰り返すが、小島よしおはまぎれもなくパンクである。
そんなの関係ねぇ──開き直り他者を突き放しわが道を歩むことへのその宣言が、ほとんど暴力的とも言えるほどの声量と時間と回数をかけて反復的に叫ばれるのは、21世紀初頭の日本。ブーメランパンツを穿いた以外には何も着ない、筋肉質な肉体を曝け出した男がお茶の間に現れたのは2007年のことであり、彼──小島よしお──の代表作である「そんなの関係ねぇ/OPP(Ocean pacific peace)」は、低迷する日本経済と閉塞する労働市場への、ロストジェネレーションからの叫びであり、それはまさしく1970年代後半、新自由主義へノーを突きつけ世界中を席巻した若者たちの叫び──パンク・ムーブメント──の反復であった。たとえば1976年、イギリスはロンドンで結成されたロンドン・パンクを代表するバンド ‘The Boys’ の1stアルバム ‘The Boys’に収録された楽曲 “I don’t care(そんなの関係ねぇ)” は、次のような歌詞である。

ロックがどうとかロールがどうとか、俺にはそんなの関係ねぇ。
ビートがどうとかソウルがどうとか、俺にはそんなの関係ねぇ。
希望はねぇ。チャンスはねぇ。何もわからねぇ。
何をわかればいいかなんて、誰も何も教えてくれなかった。
希望はねぇ。チャンスはねぇ。でも別にそれでいい。俺にはそんなの関係ねぇ。

──The Boys “I don’t care”

1970年代のイギリスの若者たちには未来はなかった。市場原理と能力主義の断行によって激化した競争社会の中で、若者たちに仕事はなく、金はなく、怒りと不満だけがあり、それらをぶつける音楽だけがあった。パンクスたちには音楽だけが唯一の希望だった。多くの若者たちはそれに賭け、多くの若者たちはその賭けに負けた。
2000年代の日本の若者たちにもまた未来はなかった。正規雇用の仕事はなく、年金制度は破綻し、老いた両親の介護が待っていた。30年前のイギリス人たちと同じように、仕事はなく、金はなく、怒りと不満だけがあった。言葉は無力で、放たれた言葉のうちのいくつかは、閉塞感の中で飛散し分解され消失した。
そして、そこに現れたのが小島よしおだった。彼の登場は──少なくともそのころの私にとっては──衝撃的で、「そんなの関係ねぇ」と高らかに宣言する彼のネタを初めて見たとき、私は彼は、自分にとって叫ばれるべき叫びを、笑いという、ある種の市民権を得たパフォーマンスのありかたで公に表明するためのツールを手に入れたような心地がした。怒りと不満、やるせなさや切なさを笑いに変えること。笑いとして対象化し、切り離して共有し合うこと。笑うこと。それは人類が誇るべき、きわめて優れたコミュニケーションの形式である。
笑いについて、多言語翻訳作家として知られるエメーリャエンコ・モロゾフは、代表作『O-NSC』の中で次のように書いている。
「蔑みや怒りにはいくらかの情報があれば足りる。ただし笑いには知性を要する。理解できないものに出会ったとき、わからない自分へのストレスを抑圧すると対象への軽蔑を覚え、抑圧の露見しかかる痛みに人は憤怒する。しかし笑いとは、そのわからなさの意識化によって生まれるものだ。[…]意識化、それを行うのが知性だ。わからなさから目をそらさずに様々な観点へと移動し、明らかだったはずの自我を形成する要素や要素どうしの関係性を絶えず再検討し、ときには意図的にでも倒錯を引き起こすことで何がどうわからないのかを明確にする。意識化されるそのわからなさに、笑いが生じる。[…]人は他者を笑うことはできない。知性を持つ者は理解できないものの前で瞬時に別人となり、その際に置き去りとした、かつて自分だったものを笑っているのだ。学び問うのを止め変化を嫌うようになった者が怒りっぽくなるのは道理にかなっている」

3.昔話、音楽よりも前に届く音楽

ところで、昔は音楽を聴くとき、音よりも先に言葉があった。思い出をたぐりよせると、私はそのような記憶にたどり着く。
昔は、インターネットはなく、音楽を聴くにはCDを買うか、友達から借りるか、ラジオやテレビ番組をチェックするか、そのくらいの選択肢しかなかった。そして現実は、知られていない新しい音楽がラジオやテレビで流れることは少なかったし、友達が買う保証もなかったし、CDは値段が高く、子どものころには買えないことも多かった。
そこで、私ら彼らは雑誌を読んで、雑誌に載っている言葉から音を想像した。ドール、ロッキング・オン、クロスビート、バズ、スヌーザー。本屋の棚には今よりももっとたくさんの雑誌が置いてあり、いろんな雑誌のいろんな音楽に触れることができた。
雑誌は安く、そのうえCDよりも先に発売された。雑誌にはレビューやインタビュー、ライブレポートが載っていた。子どものころはそうした文章群から音を想像し、想像した音を、頭の中で何度も聴いた。一冊の雑誌を何度も読み返し、表紙は破れてボロボロになった。表紙がちぎれ落ちてしまうと、お気に入りの記事が載ったページをハサミで切り取り、バインダーに綴じて閉まった。バインダーの表紙には好きなバンドのステッカーを貼ったり、雑誌から切り抜いた綺麗な写真や絵をマスキングテープで貼って、即席のコラージュ作品を作った。どこへ行くにもそのバインダーを持ち歩き、ことあるごとに開いて読んだ。休み時間にこっそり読んだり、気の置けない友人たちに読み聞かせたりした。そのころの子どもたちは、聴いたこともない音楽についてみんなで話したし、みんなで話すことができた。それは楽しいことだったし、自由を感じられることだった。
経済的に豊かではない田舎の子どもにとって、音楽体験とは紛れもなくそれら一連の行為を指した。1989年生まれの私にとっては、つまるところ、雑誌を読むことこそが、音楽を聴く以上に音楽を聴くことだったのだ。

4.無題、あるいは雑談について

どうでもいい話ばかりをしてしまった。
私はどうでもいい話をするのが好きだ。いつもどうでもいい話ばかりして、人を飽きさせてしまう。人に飽きられてしまう。──これまでに、たくさんの人が目の前をとおり過ぎていった。
けれど、これは書評だ。飽きられてはならない。たとえ私が飽きられたとしても、本について飽きられるのは本意ではない。書評は本のために書かれる。だから、本当は、こんな私のどうでもいい話などではなく、本の紹介をしなければならない。
人は私の人生などには興味はない。人はその人固有の時間を生き、その人固有の人生を生きている。好きなものに触れたり、好きな人と話したり、おいしいものを食べたり、仕事をしたり、そんな風に生きている。結婚をし、育児をし、介護をし、そうしているうちに人生は過ぎていく。時間は限られている。雑談はやめて、早く本題に入らなければ。

5.さよなら未来のこと、便宜的な要約

『さよなら未来 エディターズクロニクル2010-2017』。それが本書のタイトルである。
本書は、2010年から2017年の間に書かれた、題材も切り口もバラバラな81の断片的なエッセイから成る。
サブタイトルにあるとおり、本書は、技術思想誌/社会思想誌『WIRED』日本版の編集長として、テクノロジーと社会の関係、人類文明の今やこれからについて考え続けた、若林恵という一個の編集者による年代記である。7年間、それは人類の歴史にとってはわずかな時間だが、それは無意味であることを意味しない。当然ながら時間は流れ、時間の中で事件は起きる。事件は、個人の私的なものから、複数の人々にまたがる社会的なものまで、規模やありかたは様々ある。7年間、そのわずかな時間の中で、東日本大震災が起きて福島第一原発で事故が起きた。都市から光が消えた。誰もが言葉を求めたが、テレビは何も言わなかった。
そのとき人々はつながりを求めた。顔の見えない誰かであってもかまわない、自分の声を聞いてくれる誰かを求めた。SNSが爆発的に普及し、インターネット・カルチャーが新たなフェーズに移行した。インターネット上で、誰もが誰かに何かを言うようになった。何かを作って人に見せることができるようになり、何かを作って人に見せたい人々は実際にそうした。一億総クリエイターという言葉がささやかれるようになった。それまでは一人で音楽を作り絵を描き小説を書いて、それでおしまいだったが、今ではインターネット上でブログを書き音楽を作り絵を描き小説を書き、そしてそれを誰かを見せることができる。

そうして芸術は無料化し、アーティストは生活していくことができなくなった。音楽の分野では、売るための音楽の代わりに作りたい音楽が多く生まれた。自由で多様な音楽が、楽曲配信サービス上で大量に作られ聴かれるようになった。
「ニーズなんてクソ食らえだ。そんなの関係ねぇ。僕らは僕らの作りたいものを作る」。彼らはそんな風に考えていた。「そんなの関係ねぇ」のだと。

同じ頃、ビジネスの分野でも新たな潮流が生まれていた。確度よりも速度が、製品よりも体験が、論理よりも物語が、そこでは求められ始めていた。古い考えを持った人々と新しい考えを持った人々の考えが、無数の断片となって──フェイクニュースや炎上ニュースと一緒になって──タイムラインの上を流れていった。
同じ時間を共有しながら混ざり合うことのない断片。
同一の根幹を持ちながら、分岐の果てで自らの起源を見失ったいくつかの事象。
それらの断片を観察し、言語化し、可視化し、分類し、整理し、一つの架け橋とすること──本書において511ページにわたりまとめられたそれらの断片は、一人の人間の眼差しの痕跡であると同時に、一つの歴史の証言となっている。

6.全ては同じ形をしている

もう少しだけ音楽の話をしたい。
それは私にとって、本書について考える唯一の方法だからだ。

私はずっと音楽をやりたいと思っていたし、実際に音楽をやっていたこともあった。そのときは、生半可な気持ちなどではなく、本当に真剣にやっていた。金も、時間も、体力も、精神力も、知識も、技術も、自分が使える範囲で使えるものは全て使った。人生の全てを総動員させていたと言ってもいい。
そのころはずっと音楽のことを考えていたし、あるいは何も考えず、ただ音楽の中に身を投じていた。映画を観たり、小説を読んだり、詩を書いたりすることもあったが、それはそれ自体が目的なのではなく、頭の片隅にはつねに音楽があった。自分の音楽を追求するためにそれらが必要だと思ったから、そうしたのだ。

私は2012年に大学を卒業し、会社員になった。テクノロジーのことやシステムのことを考えるのが好きだったから、テクノロジーに関わるコンサルティング会社に就職した。
最初は仕事を覚えるのに必死で、毎日終電で帰ってきては、わけもわからずビジネス書や技術書、IT資格の参考書なんかをむさぼり読んだ。仕事と仕事のための勉強をしていると、私的に自由に使える時間はほとんどなくなった。そのころ、私だった彼は、寝ても覚めてもずっと仕事のことを考えていた。Excelの表に打ち込まれた、消えることのないいくつもの課題をながめ、解決の糸口を探し続けた。平日にはクライアントと議論をし、休日には調べ物をし、上司や同僚に電話をかけて質問をし、Excelを開いて情報を整理し、PowerPointで資料を作った。本棚を見ると、いつのまにか、学生時代に読んだ小説や批評や論文集よりも、仕事で読んだ参考書の冊数のほうが多くなっていた。けれどもそれでいいと思った。仕事とプライベートの境界はなくなり、生活の中のあらゆることがらを仕事に結びつけて考えるようになり、私だった彼はいつでもどんな場所でもビジネスの話をし、横文字を並べたてて話をしたが、それは満ち足りた感覚でもあった。それは幸せなことなのだと思ったし、自分はそれを幸せと感じる人間なのだと思った。生きている限り人生は続いてゆき、その中で人は、かつて知らなかったできごとに接し、それまでは知らなかった自分と出会う。当たり前のことだ。人は変わる。社会は変わる。歴史は動いている。そうしているうちに、私は彼は新しい生活にも少しずつ慣れていき、できることは着実に増えていった。自分が持っているものを誰かに分け与えたり、自分ができることをすることで、困っている誰かの役に立つと感じられることが増えていった。それは、純粋に楽しい経験だった。本当に。
もちろん、そのあいだに音楽はできなかったし、映画を観ることも小説を読むことも詩を書くこともなかったけれど、そんなことは些細な問題だった。これはこれで充実した生活なのだと思った。自分の人生はここにあるのだと思った。そのときは。

仕事ばかりの日々が3年ほど続いた。一つ目のプロジェクトが終わり二つ目のプロジェクトが終わった。
会社で新人と呼ばれなくなってきたころ、少しずつ自分で自分の時間をコントロールすることができるようになって、空いた時間でまた音楽をやるようになっていた。理由やきっかけはわからない。今ではもう思い出すことはできない。おそらく衝動的なものだったのだと思う。私は彼は平日の、仕事が終わったあとの夜に曲を作り、休日にライブをするようになった。音源や動画をインターネットにアップロードし、知り合いが増えていった。人からライブに誘われたり、人をライブに誘ったりするようになった。知らなかった文化に触れた。ヴェイパーウェイヴ、ウィッチハウス、ハーシュノイズ・ウォール。いろんな人から、いろんな音楽を教えてもらった。楽しかった。楽しかった、とても。
25歳の春に結婚をした。私は彼は曲を作り続け、ライブを続けていたが、結婚をしてからは自分一人で使える金額に限りができて、音楽にそれほど割けなくなっていた。そこには独身のころとはまた異なる限界があった。彼は、音楽のことよりも、夫婦の生活のことを考え、家族としての将来のこと──端的に言えば、子どものこと──を考えるようになっていた。

音楽はずっと聴いていた。そのあいだも、いろんな音楽を聴いていた。
パンクは自己否定と自己破壊、自己再定義の音楽だ。だからパンクを聴き続けるということは、ジャンル音楽として規定されたカテゴリの外へと出ていくことを意味する。パンクを聴くということは当然ながら、パンクを思いつつメタルと呼ばれるものを聴き、シューゲイザーやオルタナティブ・ロックを聴き、エレクトロニカやテクノ、ノイズやアンビエントやドローンを聴いていくということだ。
時代は2010年代も半ばにさしかかっていて、私は、カート・コバーンが自死した年齢にさしかかっていた。私は相変わらず音楽を聴いていたが、もうほとんどCDを買うことはなくなっていた。私はインターネットで音楽を聴いていた。YouTubeで、AppleMusicで、soundcloudで、bandcampで、いつも新しい音楽を探していた。

そうした中で聴いたOneohtrix Point Neverことダニエル・ロパティンが2015年に発表したアルバム『Garden of Delete』は、個人的な心情としても、単なる事実としても、私の人生を変えることになった。それはすごいアルバムだった。正直に言えば初めて聴いたときは作家が意図するところはほとんど理解できなかったが、それでもそれがすごいアルバムだということはわかったし、そこで鳴っている音楽が、新しくてかっこよくてマジでやばいということだけはわかった。理解を超えているということは、自分の理解力では追いつかないほどにその作品世界が巨大で複雑であるということを意味し、わからないことも含めて──というか、わからないということは、私にとって、素晴らしいと思うことの一つの条件なのだが──それは素晴らしい音楽だった。それは新しい音楽だった。未来の音楽だと思った。私はその音楽を聴いたとき、「こういう音楽がやりたかった」と思ったが、自分には絶対にできないだろう、とも思った。自分の能力の限界をまざまざと見せつけれられ、「もうあきらめろ」と言われている気がした。自分がこれからどれだけの音楽を作っても、それは誰かの何番煎じであり、あるいは、何番煎じにもなれない劣化コピーにすぎないのだと、自分がこれから辿る運命を示されているように感じた。そして私は音楽をやめた。自分の身の丈に合った、自分にできることをしようと思った。けれど、私は音楽を続けたいと思っていた。

そして私は小説を書いた。それはSF小説だった。Oneohtrix Point Neverの音楽を、自分なりに小説に置き換えてみたらどうだろうか、と私は思い、そして実際にそうしてみたのだ。それはまだ誰にもやられていないことのように思ったし、幸い自分には文章が書けた。当時はそれが小説になるかはわからなかったし、試みが成功するあてはどこにもなかったけれど、少なくとも何かしら、たとえわずかであっても意味のある、ひとまとまりの小さな文章なら書けると思った。そのころの私は音楽活動はもうやめていて、音楽以外の何かが書けるだけの時間があった。こうして私は小説を書き始めた。小説は音楽に似ていた。音楽を聴いたり、音楽を作ることに似ていた。一つひとつの文にはリズムがあり、メロディのようなものがあったし、段落ごとにコードやハーモニーのようなものが流れていた。最初は気づかなかったけれど、私は、書きながら少しずつそのことに気づいていった。私は文章を書いていた。小説を書いていた。私は音楽を聴いていた。音楽のことを考えていた。小説を書いているとき、私はずっと、音楽を作ることについて考え続けていた。Oneohtrix Point Neverのことを思った。ダニエル・ロパティンの音楽はSF小説のような形をしていた。それはおそらく、ダニエル・ロパティンの作る音楽が時代性というものを反映していて、現代という時代がSF小説のような形をしていたからだった。それならば、そうしたSF小説のような形をした音楽を聴きながら、SF小説のような形をした小説が書けないわけはないと私は思った。全ては同じ形をしていた。少なくとも私にはそう見えていた。私はその風景を書き留めていくだけでよかった。そうやって小説を書いていくと、私はようやく、自分が自分自身の音楽を作れているような心地がした。

年が明けて、小説が書き上がった。それが賞をとった。SFの賞だった。去年のちょうど今ごろ、2017年の8月のことだ。

「あなたにとってSFとは?」と、今でも時々訊ねられることがあるが、私にとってSFとは──ダニエル・ロパティンの作る音楽と同様に──端的に言って、よくわからないものである。よくわからないものとは、部分的には把握可能だが、その全貌は誰にもとらえられない──そう、それは若林恵の書いた『さよなら未来』という書物のような――多様な解釈を許し、全ての読みが誤読になるような、認識の限界を超越した、巨大で複雑な構造物のことである。そして私はここに至り、ここにいる私はSF作家を名乗っている。だから今では、私もこうして、書評のような小説のような、何かよくわからない文章を書いている。私はSF的であるもの/よくわからないものを目指して、よくわからない文章を書いている。

そのとき、私の頭の中には音楽が流れている。かつての私が音楽雑誌の言葉の中で聴いたように、今の私は、私の言葉で書かれた音楽を聴いている。私はそれを聴き、その音楽で小説を書いている。
音楽に心を動かされ、音楽について考え、音楽を聴いて、音楽を演奏してきたことが、今の私を作っている。私にはそういう感覚がある。
無関係だったはずのいくつかのできごとが、一つの現象に収斂していく様子を見ることがある。そのとき人は「バラバラに見えたあれらは全て、実はこの瞬間のための伏線だったのだ」と思う。現在という現象は遡行的に語られる。現在は、意味のあるものごとが一つひとつ丁寧に順番に積み上げられて生成されるのではなく、雑多に捨て置かれた無意味な断片が、現在という時間から編集され整理され意味のある体系として認識されることで初めて生成されるのである。では、未来についてはどうだろう。

7.未来はつねにすでにここに、とウィリアム・ギブスンは言った

人が未来と言うとき、それがイメージするものはなんだろうか。ポスト・インターネットの文化や社会、ビッグデータやIoT、AIによる自動化や効率化、ARとVR、量子コンピュータによる演算能力の向上、ロボットやアンドロイドとの共生、仮想通貨とブロックチェーン。あるいはシンギュラリティ。ブレイン・マシン・インターフェースによる義体化と電脳化。サイバースペースへのジャックイン。
多くの場合、おそらくそうした言葉が挙げられるのではないかと思う。そしてそれは先端的な技術のリストとしては正しいものである。それらは未来的な技術である。しかし、それらが未来そのものであることは決してない。それらは未来のビジネスや文化や社会に影響を与える技術だが、未来そのものではない。未来とは技術のことではない。未来とは、認識の変革に与えられたその名のことである。
たとえばインターネットは情報革命だったのだろうか、それは15世紀の活版印刷術とは何が違うのだろうか。
SNSでのコミュニケーションは、16世紀のコーヒーハウスでの議論から何かが進んでいるのだろうか。
あるいは、10万年前に言語が生まれて以降、人はそれを超える技術を作ったことはあっただろうか。
そもそも、人は言語を用いて何かを作っているのではなく、言語が人を用いて人に何かを作らせているのではないだろうか──本書は読者にそう問いかける。人が生み出す情報や技術、テクノロジーやビジネス。それは端的に、技術であり技術の組み合わせであり、それ以上でもそれ以下でもない。未来そのものである未来はそんなところにはなく、そんなものであるはずがない。未来とは、新たな視点で眺め直された今のことであり、自己否定と自己破壊、自己再定義が行われる営みのことである。
ビジネスやテクノロジーの世界には、破壊的イノベーションという言葉があり、市場構造を抜本的に変えうるテクノロジーやビジネスモデルを指す言葉だが、私から言わせれば、それは既存のテクノロジーや既存のビジネスの延長上で生まれるものでもなく、否定と破壊、再定義を試み続けるパンク・スピリットによって成される物事にほかならない。服を脱ぎ捨て裸になって「そんなの関係ねぇ」と叫ぶということ。過去に別れを告げること。今に別れを告げること。わかることでわかろうとしないこと。何もわからないということ。何もわからないことを引き受けるということ。
さよなら未来、と本書は言う。本書は未来に別れを告げるための本である。

「未来はつねにすでにここに」とSF作家ウィリアム・ギブスンは言った。
「自分がもらったものを分け合うドラマ。未来は俺らの手の中」とブルーハーブは歌った。
そして、「人を動かす新しい体験をつくろうとするとき、人は「動かされた自分」の体験を基準にしてしか、それをつくることはできない」と若林恵は書いた。「未来を切り開くことと「自分が心動かされたなにか」を継承し伝えることは同義だろう」
あるいは本書は次のように問う。「テクノロジーが変わることで、人間や社会が変わるのか。あるいは人間や社会が変わることで、テクノロジーのありようが変わるのか。音楽好きならば、エレキギターがロックの世界を変えたのか、それともジミヘンが変えたのか、と問うてみてもいいだろう」。以上の問いに対し、本書は次のように続けている。「一番慎重な答えをとるならば、「両方」ということになるのだろうが、それでもぼくはどちらかといえば「ジミヘンが変えた」というほうに幾分か傾斜しておきたいと思っている」
私もまた、こうした立場をとる。エレキギターが誕生し、多くの若者がその新しい楽器を手にとったが、誰もジミヘンのように弾こうとはしなかった。知っていることを反復し、知らないことを知ろうとはしなかった。見たことのないようなやりかたでギターを弾き、聴いたこともないようなノイズを面白いと思おうとはしなかった。
それは私にとっても同様で、私はパーソナル・コンピュータを持っていたし、ソフトウェアのシンセサイザーを持っていた。簡単なプログラムを書いて、電子音のシーケンスを組むことができた。サンプラーを持っていてエフェクターを持っていた。それだけの機材を使って、私が作る以前には存在しない音楽を作ることだってできたはずだった。けれど、私は根本的にはそうすることはできなかった。Oneohtrix Point Never/ダニエル・ロパティンの音楽を聴いたときに、私はそれを確信した。
OPN。ダニエル・ロパティン。彼の音楽は、既成の音楽ジャンルや既存の価値観の延長上に立とうとするのではなく、既存の音楽や音楽にまつわる価値観を成立させている原理を問い、原理的なレベルから、自分自身の音楽を作り出そうとしていた。それは50年前のジミヘンと同じ営みで、エレキギターを手にした多くの若者がジミヘンになれなかったのと同様に、私はダニエル・ロパティンにはなれず、未来を作ることはできなかった。
アーカイブとアーカイブの隙間で消えていった多くの若者たちと同じテクノロジーを用いながら、ジミ・ヘンドリクスはジミ・ヘンドリクスになり、ダニエル・ロパティンはダニエル・ロパティンになった。結局のところそこにあるのは未来を作るテクノロジーなのではなく、未来を作ろうとする意志であり勇気であり、それらを持って行動を起こした個人なのだ。
「歪みを是正し克服していくのは、あくまでも生きた人間にほかならない」と本書は書いている。「結局のところ、音楽で言うならば、デバイスやサービスの進化は、音楽の進化とは関係がないのだ。それを商品化し換金するためのシステムが変わっても、アーティストがやるべきことは変わらない。聴いたことのない、フレッシュな音楽をつくること。ピリオド」

パーソナル・コンピュータの父、アラン・ケイは「未来を予測する最善の方法は、自らそれを創りだすことだ」と言った。
そうだとすれば、やることはシンプルだ。エコノミストや評論家が予想する未来に別れを告げること、自分で手を動かして何かを作ること、自分がもらったものを誰かと分け合うこと、自らの手でドラマを動かすこと──そうしないうちは、世界はいつまでも変わらない。
良くも悪くも、未来はすでに与えられており、今なおこうして与えられつつあるのだから。

樋口恭介
樋口恭介

1989年生まれ。SF作家・翻訳家。主な仕事に『構造素子』(第5回ハヤカワ SFコンテスト大賞受賞作。第49回星雲賞長編部門候補作)、Oneohtrix Point Never『Age Of』歌詞監訳、ラモーナ・アンドラ・ザビエル名義で短編小説の翻訳・紹介など。