誰もが家族という「呪い」に囚われている──島本理生『ファーストラヴ』

第159回直木三十五賞を受賞した島本理生氏の『ファーストラヴ』についての書評。常に第一線で走り続ける作家が抉り出す家庭の闇とは。

「好き」という言葉が難しかった。
これまでの人生で幾人かを「好き」になった。「好き」だから、時間をあげた・労力をあげた・物をあげた・言葉をあげた。
けれど、それらが本当に彼らに届いているという実感を抱けなかった。
今となっては顔も思い出せない彼らの、逸らした瞳の黒さだけをただ覚えている。

専業主婦の母親と出張がちな父親、そして2歳年下の弟。いわゆる“標準世帯”で生まれ育った。
学校へ行き、部活をし、休日は友達と買い物かバイトで時間を埋め、誰かを「好き」と言ってみたり、誰かに「好き」と言われたりする──さらに言えば、その「好き」が誰とも一致しないことに悩む、そんなところまで──普通の女子高生だった。
しかし、高校を卒業しても、私の「好き」が誰かの「好き」と重なり合うことはなかった。そんな私を尻目に周りの友人たちは次々に恋人を作った。そして、彼女たちは時に目を細め、時に眉をひそめながら、彼らのことを私に語った。私はわかったような顔をしながら両者の関係を羨んでみたり、それらしいアドバイスをしたりして彼女たちを安心させた。内心では血眼になって私と彼女たちの違いを探していたというのに。
ちぎれた配線のような私の「好き」は、私の心を蝕んでいった。そうして歪な感情を持て余した私は、自分を“欠陥品”だと思いこむことにした。

愛せない、愛されない女たち

あなたたちは何がしたかったのって。
毎日のように連絡してきて、褒めて、体の関係になって。
それなのに、ある瞬間から飽きて、理由なんて語ってくれなくて、いい子だし可愛いし大好きだって言いながら、だんだん電話やメールをしてくる回数が減って、それでもセックスの時には避妊したくないってダダこねられて。そこまでしたって、最後にはたとえ私が死ぬって言っても、皆、いなくなった。
島本理生『ファーストラヴ』

第159回直木三十五賞を受賞した島本理生氏の『ファーストラヴ』 は、美貌の女子大生による父親刺殺事件を起点に、家庭の中に張り巡らされた影の部分を紐解いていくフィクション作品だ。
島本氏は1998年に15歳でデビューして以降、2001年に『シルエット』で群像新人文学賞優秀作、2003年には『リトル・バイ・リトル』で野間文芸新人賞を受賞し、芥川賞候補に四度、直木賞候補に二度ノミネートされるなど、作家として常に第一線を走ってきた。
第145回の直木賞候補となった『アンダスタンド・メイビー』は作家デビュー10周年を記念して書き下ろした意欲作。地方に住む中学生、黒江の成長を描く中で、家族や恋人、友人との関係から生じる闇を洗い出した。しかし、同賞では惜しくも落選。その後、島本氏は3年間、“落選する悪夢”を見続けたと言う
そんな彼女にとって、念願叶っての直木賞受賞となった今作。初挑戦となるミステリーテイストのストーリーもさながら、何気ない日常の中で、傷つけられ、消耗していく女性たちの描写と物語の展開が重なり合う様が見事だ。

主人公である臨床心理士の真壁由紀は、女子アナ志望の女子大生によって画家の父親が刺殺される、というセンセーショナルな事件の被疑者、聖山環菜にまつわるノンフィクション作品の執筆を依頼される。
環菜や彼女の周囲の人々と交流する中で、環菜が「普通」と評する家庭環境や恋人関係のグロテスクなまでの歪さが浮かび上がっていく。自分の娘を「自分のことでしか泣けない」、「嘘つき」な人間だと切り捨てる母親、作品や自己満足のため子供を利用する父親、交際していた頃のメールや写真を週刊誌に売り込む恋人…。
文を追うごとに環菜の歪な人間関係が顕になり、“なぜ彼女が父親を殺したのか”が解き明かされていく。

孤独と性欲と愛の区別は難しい。若ければなおさら。
島本理生『ファーストラヴ』

また、由紀のもとに相談に来る女性たちも皆、ありふれた、しかし切実な悩みを抱えている。出会ったばかりの男性の表面的な優しさの代償として性を提供する派遣社員や婚約者がいるにもかかわらず、不毛な恋をするOL…。さらに、主人公である由紀も父親が外国で少女を買春していた事実を知り、異性への強烈な不信感を抱いていた過去を持っているのだ。
彼女たちの負った傷は、多くの女性にとって既視感のあるものだろう。

母親が子どもにかける呪い

「追い詰められていたことなら、あったでしょうね。あの子、昔から脆かったから。夫も気難しい人で、私もそれなりに苦労しましたし、それくらいは気づいてますよ。でもそんなの最終的には本人がどうにかするしかないでしょう」
島本理生『ファーストラヴ』

今作の鍵となり、主人公の由紀、そして環菜に共通するもの、それが母親が子どもにかける呪いだ。明らかに子どもを傷つける、異常な行動をする父親に対し、母親たちは平静を装い、自覚的に無視をする。なぜなら、母親たちも傷を負いながら生き続けていたから。そして、“家族のため”という大義名分のもと、自分の傷を押さえ込み、子どもに自立心を押し付ける。
例えば、夫が海外で児童買春をしていたという過去を知りながらも平然と夫婦での海外移住を計画する母親に対し、由紀が問いただすと、母親はこう答えるのだ。

「離婚とか、最近はみんな平気で言うけど、あたしの時代は考えもしなかったわよ。だって子供はやっぱり両親揃ってるほうがいいじゃない。由紀だって十分なことをしてあげられなくなるし。それにお父さんだって、あたしが昔泣いて責めたら、もう二度としないって土下座して謝ったんだから。それからは大人しいものよ。私は自分の人生なんていいから、いつも家庭の幸せ第一に考えてきたのよ」
島本理生『ファーストラヴ』

また、環菜も由紀への手紙の中で、母親についてこう述べている。

真壁先生は、母が私に自己責任を強いてたと言っていましたね。だけど仕方ないんです。母はむしろかわいそうです。母はずっと父に気を使って遠慮していました。
たとえご飯を炊いた直後でも、父が蕎麦だといえばすぐにお湯を沸かして、昼間はゆっくり寝たいから出ていけといえば、無理にでも予定を入れるような母です。父に逆らえるわけがないんです。
島本理生『ファーストラヴ』

「子どものため」願ったことが、我慢したことが、呪いとなって子どもにはね返っていく。こうした現象は多かれ少なかれ、どの家庭でも起こりうることだろう。まもなく2歳になる娘がいる筆者も、間違いなく、彼女に何らかの呪いをかけている。
しかし、歳を重ね、大人になったとき、自分にかけられた呪いは、──たとえそれがどれだけ悲惨なものであっても──自分で解くしかないのだ。

 

20歳の春、父親が家を出て行った。様々な事情があったけれど、その数年前から両親はうまくいっていなかったということをはじめて知った。
最初は父親を嫌悪した。憎んで、けなした。嘆いてみたりもした。学校を休んで、実家に引きこもった。しかし時間が経つにつれ、父親ばかりを責めながら、離婚を拒む母親に不信感を抱くようになった。彼女が離婚を拒否する理由を話す際、主語は必ず、私と弟だった。

復学し、実家を離れ、久しぶりに人に会ってみると、少しだけ素直になれたような気がした。いろんなところに行って、いろんな人に会った。
気がつくと、私は人を好きになっていた。

恋人ができた。21歳の夏のことだった。

大藤ヨシヲ

文芸作品や映画のレビューを主に行うフリーライター。大学在学中に結婚・妊娠・出産を経験。趣味は読書、自撮り、ラップバトル鑑賞。関心領域は、自然科学・テクノロジー・教育。